爆弾池からそう遠くない位置にあるこの奇妙な形の建物跡。いかにも、という感じで荒廃していますが、地下無線室跡です。
近くまで寄ってみると、確かに地下に何らかの部屋があった跡がありました。残念ながら今はゴミが溜まっている状態。自由に入れても危険な気もしますので、仕方ないのでしょうか。
下の一番右の写真は無線受信室跡。民家の近くにひっそりと建っていますが、こちらもかなり荒廃が進んでいます。
数年前、鹿児島で防空壕で遊んでいた子供が亡くなるという事故が起き、それ以来施錠され立入り禁止になったのだそうです。見学をしたい方は、教育委員会に事前に連絡をすれば見る事も出来ます。
こちらのレンガ造りの建物。一見、立派に現在でも使われているレトロチックな倉庫の様にも見えますが、立派な戦争遺跡です。
実はこの建物は実際に何に使われていたのか、定かではありません。当時の方の貴重なお話から、どうやら落下傘(パラシュート)の整備室だったのでは、という説が有力です。
しかしその用途とは関係なく、この建物が非常に重要な理由があるのです。
下の左から二枚。外壁に無数に残る弾痕が見えますか?戦争の凄まじさが、今でもくっきりと見て取れます。
左の写真の青く囲んだ部分に注目下さい。
写真では分かりにくいですが、良く見るとここに白い○が描かれています。有事には最優先で防災しようという印なんだそうです。上の写真の一番右がそのアップ。
年月が経って、かなり見難くなっていますが、確かに近づいて見ると白い丸が大きく描かれていました。
少し場所を変え、今度は現在の柳ヶ浦高校の前まで移動します。
柳ヶ浦高校の正門前にあるのは、宇佐海軍航空隊から派遣され、特攻隊員として命を落とした方と、宇佐の航空隊で亡くなった方を慰霊する忠魂碑です。
毎年4月16日にここで慰霊祭が行われているそうです。