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 私達の住む日本を舞台に行われた最大の戦争、『太平洋戦争』。
 その太平洋戦争の終戦から早60年。戦争を経験した多くの方は年老い、既に戦後を生きてきた団塊の世代が退職をしようという世代になってきました。 そんな戦争を知らない我々の世代にとって、戦争とは中東などを中心に海外で行われている、対岸の火事的出来事の様に感じてしまいます。

 「平和が一番!」「戦争をやめよう!」
 言葉でそれを言うのは非常に簡単な事です。しかし戦争は、理屈ではとても説明の出来ない…我々の常識ではとても考えられない世界の話でした。
 我々がそれを体感するきっかけになったのが、2006年の8月、大分活性化宣言!の終戦記念日特集で訪れた、宇佐市の多くの戦争史跡を見学した日の事です。

 『宇佐海軍航空隊跡地』を皆さんご存知でしょうか?  我々が見て・聞いて・感じた全ての物を、出来る限り忠実にお伝えします。


高井横穴壕

 我々が宇佐海軍航空隊跡地の案内をお願いしたのは、宇佐市教育委員会の井上課長様。
 井上課長から最初に案内されたのは高井横穴壕でした。

 ここは駅館川の東側。この辺り周辺には約6kmに渡り、防空壕が点在します。昭和20年の2〜3月にかけ掘られたものだと言われ、現在は施錠されて自由に入る事はできません。
 数年前、鹿児島で防空壕で遊んでいた子供が亡くなるという事故が起き、それ以来施錠され立入り禁止になったのだそうです。見学をしたい方は、教育委員会に事前に連絡をすれば見る事も出来ます。



高井横穴壕の中へ

 いよいよ中に入っていきます。
 思った以上に暗い壕内には、懐中電灯が絶対に不可欠です。3歩も歩けば、すぐにヒンヤリした空気が伝わり、奥を照らすとここが随分横長である事を改めて感じました。

 実は昭和20年4月21日の、本格的な大空襲によって、宇佐海軍航空隊の中枢は爆撃され、やむを得ずこの防空壕に中心部を移したそうです。つまり、ここは民間の避難場所だけでなく、もっと重要な意味を持った防空壕だったのですね。



防空壕内部 かなり広いです まるで迷路ですね

通気口

 内部は驚くほどかなりの広さ。しかも迷路の様に入り組んでいます。

 そんな中、二ヶ所で見る事が出来る写真の様な通気口。その先には駅館川へ続く断崖絶壁があります。広さも手伝い、壕内の空気はかなり薄め。この中で長い時間を過ごすためには、何度もこうして通気口の傍に足を運ぶ事が、必要だったのでしょう。

 内部は綺麗に整備されていますが、いまだに灯りを灯したであろう台の跡や、一段高くなった生活感の窺える場所もありました。



爆弾池へ

 次に我々が案内されたのは、平野に広がる田園地帯。一見のどかな風景にも見えますが、この田園風景のど真ん中に車を停め、そこからあぜ道をしばらく歩いていきます。
 何気ない田園の風景の中に突如現れる、溜池のような風景。これが爆弾池です。

 文字通り、米軍の空襲で落とされた爆弾によって、大きな穴が開き、そこに水が溜まって出来た池の事です。
 実はこの辺りでは、爆弾池は珍しくなかったそうで、この様な風景がたくさんあったとか。時代を重ねるうちに少しずつ田園風景に変わって行くのですが、この爆弾池だけは所有者の強い思いから、平和の象徴として残しておくべきだとなったそうです。



爆弾池

 井上課長によれば、池の直径は約10m。池の深さは3m以上だとか…。見た目では想像できませんが、かなり深いんですね。
 この時はまだ気がつきませんでしたが、この辺りは既に宇佐海軍航空隊の基地周辺。飛行場だったり、基地の中枢があった場所ですから、当然狙われていたわけです。爆弾池は平和な田園風景の中にポツンと何かを訴えるように、佇んでいました。その姿がやけに印象に残り、何かを感じずにはいられません。

 爆弾池の付近が基地の周辺だと知るのは、この後すぐ傍にある史跡で、さらに激しく視界に訴える戦争の爪跡を見る事になるからです。