般若姫行列はうすき竹宵期間中、二日間共行われます。
初日は八坂神社から稲葉家下屋敷まで、二日目はその逆で八坂神社に帰ってきます。行列のメンバーは以下の通り。
・般 若 姫
・玉 絵 姫
・玉 津 姫
・侍女
・護衛
・真名長者
・勅使
これらのメンバーに一体どんな伝説があるのでしょうか?般若姫行列をもっともっと楽しむために、是非知っておく事をお薦めします。
臼杵市と言えば、『臼杵石仏』。この臼杵石仏を造ったとされる真名長者なる人物から、この話は始まります。
真名長者には般若姫という娘がいました。
般若姫の美しさは世間の評判となるほどで、時の朝廷の耳にまでその噂は入りました。天皇はそこで姫を妃として都へ差し出すように使者を遣わします。
しかし真名長者は、一人娘という理由でこれを拒み、代わりに姫の姿を書き写した「玉絵箱」を献上しました。
ところが、献上されたこの玉絵箱を見た後の用明天皇(当時の橘の豊日の皇子)は一目で恋に落ち、この姫に会うがためにわざわざ海を渡り、臼杵へ入り、牛飼いとなって真名長者のもとに身を寄せるのです。
そして、二人はついに結ばれました。
二人はこうして幸せな時間を過ごしますが、ついに朝廷から呼び戻しがかかり、彼は都へ帰る事になりました。
時に般若姫は懐妊中。夫のいない臼杵で一人、玉絵姫というかわいい女の子を出産します。
しばらくして般若姫はどうしても夫の元へ行きたく、ついに幼い玉絵姫を残し、一人で海を渡って行きました。
ところが、この途上嵐に遭遇し、般若姫は帰らぬ人となってしまいます。
悲しんだ真名長者夫婦は、般若姫の供養のため、玉絵箱の里帰りを願い、朝廷もこれを許されました。亡き般若姫の姿を描いた「玉絵箱」は夫妻にとっては娘、玉絵姫にとっては母そのものだったのでした。
暮れ早い秋の夕暮れ、臼杵の人たちは竹に明かりを灯して暗くなった夜道を明るく照らし、その中を都からの勅使や玉絵箱を捧げ持った長者たちが館を目指して歩いたのです。
これが臼杵市に残る、般若姫伝説の全貌。
全てを捨て、愛に生きようとした般若姫を称え、今でもこの秋の夜長に臼杵市民は竹ぼんぼりに灯を灯し、お祭りと変えているのです。
般若姫行列によってクライマックスを迎える、うすき竹宵。通り沿いには多くの人々が、行列をなし、この列を見ようと必死になっています。
竹ぼんぼりに見とれながら城下町を散策するのも良し、般若姫行列を見ながら伝説に思いを馳せるのも良し。風情溢れる臼杵の街並みが、さらに輝く二日間を是非観に行ってください。