この一階のホールでは、大型ビジョンで佐伯海軍航空隊の歴史と、戦場となった佐伯市の解説を詳しく知ることが出来ます。
特にこの映像の中で頻繁に登場する、実際に当時を知る佐伯市民の体験談は、非常に貴重で、涙ながらに当時を語る姿は見ている者の涙も誘い、悲惨な状況を想像するに難くない内容でした。
1945年(昭和20年)、ついに米軍は本土へと攻撃を始め、もちろん重要軍事施設のあったこの佐伯市も空爆の標的とされました。
昭和20年3月18日、米軍による初めての佐伯市空爆。以降計6度に渡り空襲を受ける事になります。
特にこのVTRの中で、多くの人が涙ながらに説明をされていた4月26日の空襲は、凄惨な現場だったようです。
場所は、現在佐伯鶴城高校のある、馬場通り。この辺りにはいくつかの共同防空壕があったそうですが、その中の一つに直撃弾が落下。
避難していた多くの市民が犠牲になったそうです。
佐伯市が見舞われた最後の空爆が8月14日。
この日、ポツダム宣言が受諾され、翌日太平洋戦争は終結します。あと数日早ければ、少なくとも最後の空爆で亡くなった市民4人の命は助かっていたと思うといたたまれません。
佐伯市に築かれた重要軍事施設、そして佐伯海軍航空隊。
ここで命を落とした多くの市民、そして戦争のあった時代を必死に生きた佐伯市民。
多くの事がこの平和祈念館やわらぎで学べました。
ここで何を感じ、何を考えるか?それは皆さん次第です。
どうぞ一度足を伸ばし、その目で真実を確かめてください。