ここからは佐伯海軍航空隊と佐伯市の歴史について、貴重な資料を見ながら解説していきたいと思います。
佐伯市は軍都になる事を自ら望みました。
それは軍都になることで、莫大な資金が市に入る事になり、当時の常識から考えると、大変名誉な事だったのでしょう。
こんないきさつもあり、1934(昭和9)年、佐伯海軍航空隊は開隊することになります。時に日中戦争開戦前。同戦争では多くの兵士達がこの佐伯市から派遣されているのです。
1940年台に入る頃、佐伯市の湾岸を舞台に大規模な演習が繰り返されます。
この頃、この演習が何のためのものなのか?知る者はほとんどいませんでした。
実は、佐伯市の湾岸一帯は、当時のある地方の港に形状が良く似ていたそうです。つまりその地を攻撃するための演習でした。時に第二次世界大戦勃発前。
佐伯市に似ていたその地こそ、世界を驚かせた真珠湾攻撃の舞台、パール・ハーバーです。
真珠湾攻撃の際、択捉島の単冠湾に集結した攻撃隊が一斉に出撃したのは有名な話。ところがそれだけではなく、実際に佐伯からも出撃隊が発進された事がここで分かります。
上がってきた二階の反対側から、ぐるっと廻って一回へと再び戻ります。辿り着くのは大きな映写機が印象的なホール。
後方には、海軍航空隊の資料の他、当時の市民の方々の生活用品が並んでいます。
下の写真の左に見えるのは千人針。白い綿布に赤糸で縫い玉を作り、出兵の際に兵士の無事を願い妻や母が送ったものなのだそうです。
名前の通り、その縫い玉は、一人一粒でちょうど千個。つまり千人の女性に縫って貰うのだそうで『祈武運長久』と書かれているのが分かります。