中津市に、通称『福澤通り』と呼ばれるストリートがあるのをご存知ですか?
県道113号線を宇佐方面からJR中津駅との交差点を通り過ぎ、二つ目の小学校のある信号を右折します。県道23号線、それが『福澤通り』です。
そこから車で5分程度、海の方へ真っ直ぐに進むと、大きな看板が見えてきますので、迷う事はないでしょう。
中津藩の名残の残る、風情ある通りの脇に一際目立つ瓦葺の屋根。それが福澤旧邸です。
レストハウスがあり、駐車場も結構広いので、車で行っても困る事はありません。
入り口で入場料を支払うと、左に旧邸、右に記念館が見えます。まずはやっぱり福澤旧邸からお邪魔する事とします。
見事に手入れされた瓦葺屋根にとりあえず目を惹かれます。当然平屋ですが、家の中も綺麗に整備され、観光客も写真を撮りまくってました。所々に小さな看板が立てられ、福澤諭吉の細かい生い立ちや、伝説が記されています。
実は今あるこの旧邸は、この時のものではないそうです。場所はほぼ間違いないそうなのですが、当時この場所には母の実家があったという話です。
1835年1月10日(天保5年12月12日)大坂にあった中津藩の蔵屋敷で下級藩士福澤百助・於順の次男として福澤諭吉は誕生しました。
彼が最初に中津に来たのは1歳6ヶ月の時。実はこの時、父が死去し、帰藩したそうです。以後19歳までこの中津に住むことになります。
晴れた日は常に障子を開放しているそうで、お陰で内部もかなり綺麗に整備されているのが分かります。
旧邸を奥へ進むと何やら倉庫の様な整然とした建物に辿り着きます。
ここには階段が用意され、二階には屋根裏の様な低さの部屋がありました。ここは福澤諭吉が勉学に励んだ部屋を再現したもの。僅か6畳ほどの広さ。
大人が立ち上がれないほどの低さですが、当時の面影を良く残し、蛍の光で勉強していたのかな?とつい思ってしまうほどw、その光景が目に浮かびます。
ところで…あの福澤諭吉が、読書嫌い・勉強嫌いだったという事は知ってましたか?
少年・福澤諭吉は、14・5歳になってから近所で自分だけ勉強をしないというのも世間体が悪いということで勉学を始めたのだそうです。
それでも偉人になれるわけですから、お子様のいる親御さんは、この話を教えてあげるのも良いかもしれませんね。
19歳になった諭吉は、兄の勧めで長崎へ蘭学を学ぶために、渡ります。あっという間に頭角を表し、22歳という若さでその塾の塾長になりました。
そして23歳、藩の命令で江戸へ渡り、藩主の中屋敷で小さな蘭学塾を開きます。
これがあの慶應義塾の最初の一歩という事になるわけです。