Be-BEPPU Jazz inn

■Main Menu■





 別府を「ジャズの街」「音楽の街」と呼ぶ人は意外と多いようです。
 戦後、別府市には米軍が12年間駐屯し、いたるところでジャズが流れていました。これが別府市をジャズの街とした出発点です。

 そして現在。
 ジャズを愛する若者達、音楽を愛する若者達、そして別府市を愛する若者達の手によって、脈々とその心は受け継がれてきました。

 −Be-BEPPU Jazz inn

 ジャズの音楽が奏でるそんな熱い思いを体感できる、真夏の祭典に2006年の夏、参加して来ました。


プレイベント風景

 Jazz innには、本番当日の他に、プレイベントや前夜祭などが行われ、イベントの雰囲気を盛上げるための様々な工夫が催されています。 今回お邪魔したのは、2006年の開催1週間前に別府駅で行われた、プレイベント。地元のジャズバンド・アカウントゼィシーバンドの皆さんが演奏されました。

 アマチュアと言えども、そこはベテランの皆さんが多い、人気のジャズバンド。さすがの慣れた演奏に、別府駅を訪れた多くの地元の方や、観光客が足を止め、聞き入っていました。



アカウントゼィシーバンドの皆さん

 『城島ジャズイン』というイベントがあったのをご存知ですか?
 ジャズファンの間では、未だに根強く伝説として語り継がれる、ジャズのフェスティバルが毎年、この別府市で行われていました。

 城島ジャズインは1972年から1981年の9年間、連続で開催され、日本一長い歴史を持つジャズの祭典として、全国にその名を轟かせていたのです。
 1982年、『国際ジャズフェスティバル』と名を変え、さらにそこから15年後、1997年まで別府市の夏の風物詩として、市民は元より多くのジャズファンによって、イベントは支えられてきました。



志高湖名物のボート

 しかし折からの不況で、イベント自体は年々縮小され、1998年には別府商工会議所も正式にイベントから撤退していきます。
 そんな時に、別府商工会議所青年部のメンバー数人が、別府のジャズの灯を何とか残そうと立ち上がり、規模を縮小しながらも『チッカジャズセッション』という名前でイベントを続けました。

 2003年まで我慢の開催が続けられたチッカジャズセッションでしたが、2004年、原点に還るべく、城島ジャズインののDNAを継承しながら、バージョンアップした形で7年ぶりの「ジャズイン」復活を目指し、開催されたのが「第1回Be-BEPPU Jazz inn」です。



Be-BEPPU Jazz inn プレイベント風景 Be-BEPPU Jazz inn

快晴の中行われたイベント当日

 そしていよいよJazz inn本番当日へ!

 2006年のjazz innは8/6(日)、真夏の快晴の中で行われました。
 暑い日差しが照りつける別府公園の特設会場でしたが、多くのジャズファンや参加者で賑わい、日本一のジャズの祭典は大盛況の中行われたのです!!