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大分文化会館 府内城に入ってすぐに目の前に現れる大きな建物は『大分文化会館』。

 現在でもコンサートやイベントなど、多くの催し物が開催され、市民の憩いの場・文化情報発信の場として大いに利用されています。外観的には「貴重なお城の中に…」と思う方もいるかもしれませんが、この地がそれだけ大分市の中心に位置するということを意味し、全盛期だった当時から変わらぬ潤いがあったことが分かります。


内堀の跡  文化会館がある西丸跡から本丸跡の間には、綺麗に整備されてはいますが、くっきりと内堀の跡が残っています。
 府内城は内堀・中掘・外堀の三つの堀を持ち、北は海に接した水城ともいえる強固なお城でした。その勇壮で美しい姿から『城雉城』(はくちじょう)とも呼ばれていたほどです。

 東西約1.1km、南北約1kmの大きさは、もちろん豊後の国最大の大きさを誇ります。

人柱 お宮 意外な見所として「人柱 お宮」の祠と弁財天を紹介しておきます。

 荷揚城築城の際、度重なる水害に工事が進まず、人柱を立てることになりました。これを聞き、上野六坊に住む孝行娘のお宮は、一家を救うために弁財天の銅像を抱いて、人柱になったのです。 その後工事は順調に進み、お宮は弁財天と共にお城の鎮守として崇められる事になりました。
 天守台の下にはお宮を祀った祠があり、現在でも毎年3/18に法要が行われています。(一部大分市教育委員会の案内板より抜粋)

 左の写真は文化会館から県庁側入り口に伸びる通路の途中、復元された廊下橋の手前で見ることが出来ます。





廊下橋 最近ではこの廊下橋が府内城に関わる最も新しい話題の一つ。平成8年に復元された立派な屋根付きの橋です。
 内堀の上を通る復元された廊下橋は、西丸と山里を繋ぐ唯一の道。府内城の古絵図類や発掘調査の成果に基づいて再現したもので、長さ21.7m、幅員2.4m、橋脚高3.8m、最高高さ4.6mという立派な橋。 加えて屋根は檜皮が利用され、橋を通るといまだに檜の匂いが漂ってきます。この様な廊下橋を使った造りは大変貴重だそうで、復元の要因となりました。

 この先にある山里丸とは、茶や能といった諸芸能が行われた場所で、これも施設として大変貴重なもの。大坂城や姫路城などの一部の著名な城でしか見る事が出来ない施設で、府内城の風格の高さを表わしています。現在山里丸の位置には、松栄神社があります。
 廊下橋のご利用はもちろん無料ですが、8:00〜18:00の時間帯のみです。ご注意下さい。

廊下橋 全体像 廊下橋 内部と天井 冠木門の礎石

府内城の天守へ 府内城の本丸部分に行くには大分文化会館東側の広場から急な石段を登らなくていけません。特に見つけにくいわけではありませんので、すぐに見つかるはずです。 かなりの急な勾配ですが、手摺り等はありませんので十分に気をつけて下さい。

 現在はただベンチだけが置かれ、整然としているこの本丸跡には、城のシンボルである天守閣がありました。 下底13間(23.4m)×12間(21.6m)、上縁8間(14.4m)×7間(12.6m)、高さ10間(18m)の石垣の上に四重の天守が建っていたとあります。 上層の大きさは3間(5.4m)×2間(3.6m)。お城マニアをも唸らせる立派な佇まいですが、火事になったのが江戸時代ですから、もちろん平和の世の中。建て直す事もなかったのでしょう。


本丸跡は立派なナチュラル展望台 何もないお陰で、天守跡は立派な展望台と化しています。
 左の写真は南方向。正面に見える大きな建物はもちろん大分県庁です。

 一方下の写真の左側から北東方向に見えるマンション。中島地区周辺に辺ります。
 北西の方向にも廊下橋の向こうにマンションが見えます。この辺りは高級住宅街。その向こうには大分一の歓楽街・都町があります。
 南西方向には文化会館の向こうに一際目立つ青いビル。地元新聞で有名な大分合同新聞社の本社社屋です。

中島地区のマンション群 廊下橋の向こう側には… 文化会館の向こう側になります

本丸跡は立派なナチュラル展望台 築城から400年、幾多の災害に巻き込まれながらも、大分市の進化を見続けてきた府内城。
 現在でも大分市の中心で、大分市民の憩いの場・大分市の観光拠点という役割を担っています。

 また同時に、最初の大分県庁があったこの場所は、今でも県庁・市役所に挟まれる大事な行政の要所として活躍している事も忘れてはいけませんよね。